#6.西山の専門学生時代

これからは、私のことを◯◯と呼んでください

西山の夢のキャンパスライフは、たった1年半で終了。

ただ…
私の中では、めいいっぱい遊びきった1年半だった。
遊ぶのはもういいやと、20歳になったと同時に勢いでピアスを引きちぎるかのように、そっと外した。
麻酔なしで12針縫った経験があるのですが、
基本、痛いのは大嫌いなので自分に優しいんです。
そういう節目の年に、なんらかの出来事がある気がする。
大学をやめたその年の12月に20歳になりました。
それから年が明けて、理学療法士を目指す為に専門学校を受験。
理学療法士の学校は、昼間部3年コースと夜間部4年コースの2つありました。
私はもちろん、早く理学療法士になりたかったので昼間部希望!
受験科目も得意な数学と英語と国語だったかな?
あと小論文と面接。
結果は…
……
………
もちろん、不合格!!!!!
だって…小論文…半分も書けてなかったんだもん…
まぁ当たり前っちゃ当たり前の結果。
この頃に気がつく。
どうも西山はプレッシャーに弱いらしい。
今でも大勢の人の前で話すのは苦手。
10人が限度かな…。
大学受験でも落ち、専門学校受験でも落ち…
第一希望が通ったのは高校受験の時だけ。
部活動も中学、高校と第一希望ではないところでおさまる。
自分の第一希望はことごとく失敗に終わる。
人生ってなかなかうまくいかないものですね。
ただ、
今回も第二希望をきちんと書いていたので、夜間部コースには合格していた。
私が思ってた以上に、そして、一部の人間が思っている以上に西山祐二朗という男は、出来ない人間らしい。
知ってました?笑
大学の時と同じように第二希望だった夜間部に入ることに決める。
はい…これまで偉そうな口を叩いてすみません。
これを読んでしまったあなたは、
これから私のことを「第二希望の男」と呼んでもらって構いません。
そんな「第二希望の男」は、学費を稼がなければいけなかった。
とりあえず、昼の仕事が決まるまでアルバイトを探す。
第一希望が、
ちょうど年度末だったので、シーズン中の、
日払いで時給が高いのが魅力的な引っ越しのバイト。
第二希望が、
家の近くにあり、勤務がシフト制だったので都合がつけやすかった某有名ラーメン屋。
西山ツウの皆さんは、もうどちらのバイトをしていたのか分かりますね。
そうです。
通称「第二希望の男」ですので、ラーメン屋。
と言いたいところでしょ?
それが、違うんです!
もっとよく読み込んで下さい!笑
基本的には、
毎回第一希望に一度きちんとトライするのが西山のいいところ。
だから今回も、第一希望の登録制の引越し屋さんでバイトを始めるんです。
1日目
単身の引っ越しだったと思います。
だからメンバーは、ベテラン2人と新人の私のみ。
何をしていいかわからず、とりあえず軽いものを運ぶ。
すると、どうでしょう?
怒られる。
「もっと重たい物を運べ!」と。
学習する男西山は、次に重い荷物を運ぶ。
すると、どうでしょう?
怒られる。
「もっと速く運べ!」と。
その時点で、西山は悟った。
やはり「第二希望の男だった」と。
2日目
諦めの早い西山は、それ以降の仕事を断り続け、ツナギだけ貰ったまま、お別れを告げた。
それから間も無くラーメン屋のバイトを始める。
朝5時からだったり、夜中12時からだったりと、いろいろなシフトがあって第二希望の男の不規則な生活が始まった。

SPEEDに楽曲提供

バイト先の某ラーメン屋。

そこには、あるインディーズバンドの人達がバイトしていた。
休憩中に詩を書いてたり…。
カラオケに行った時に調べてみたら、そのバンドの曲が入っていたことには驚いた。
そんな姿を見ながら、
夢を追うって大変なんだなぁと思っていた。
でも本人たちは大変そうではなく、楽しそうだった。
やりたい事をやるってやっぱり楽しいんだなとその時に感じた。
理学療法士になってから、ふと思い出してGoogleさんで調べてみたら…
なんと…
SPEEDに楽曲提供していたΣ(・□・;)
夢は追い続けるとちゃんと叶うんだなぁと感じた瞬間だった。
それから、自分の信じる道を進んでいこうと決めた。
もっと仲良くなっておけばよかったかな〜と今更ながらに後悔したりもする。

高齢者ソフト食との出会いで、第二希望の男の希望が初めて通る。

ラーメン屋でバイトをしながら、正社員の仕事も探しつつ、理学療法士の夜間部の学校へ通うというなんとも忙しい日々。
「第二希望の男」西山は、この頃になると自分の意思だと第二希望になってしまうことを理解していたので、先読みをするようになっていました。
理学療法士になって最初の勤務先のネームバリューがあれば、次に仕事を探す時に有利になる。
だから、学生のこの時点でそのネームバリューのある病院で働いておけば、理学療法士になってもきっと雇ってくれるはず!
というなんともブラックな先読みをしながら、リハビリ助手としての仕事か、介護職のどちらかで探していました。
そんなブラックな内情は胸の奥に潜めながら、ポロっと仕事探してることを母親の前で話をしていたら、
「あそこの病院の理事長とお母さんのいとこは知り合いだから聞いてみるね」
とナイスな人脈を発見。
そして、その時始めて知りました。
業界では超有名で全国を飛び回っている、「高齢者ソフト食」を考案した方が、私の親族にいたということを。
その時までは、医療福祉業界のことを全く知らなかったので、知りませんでしたが…
今となっては、本当に感謝です。
ありがとう!留美子お姉様!
そんな留美子お姉様のおかげで私は、ネームバリューがある病院に介護職として入職することができました。
コネクション。
コネと聞くといやらしい響きになりますが、コネクションだと繋がり。
人と人との繋がりを本当に大切にしていきたいと思いました。
それが、20歳の6月。
人から紹介された為、恥をかかせるわけにはいかないので責任感をもって、しっかりと真面目に働いていました。
この時に、責任感という協力な武器を手に入れたと思います。
責任感があれば仕事をきちんとする。
当たり前のことなのですが、そこに第三者が関わることで、その気持ちは一段と強くなる。
右も左も分からない介護職。
大丈夫だろうか…
という不安は1つもなかったのが不思議。
オムツ交換、食事介助、入浴介助、シーツ交換…
全て初めての経験。
それでも、何故だか全てが楽しかった。
現場で人と関わりながら働くのが楽しかった。
看護師さんに、いろいろと質問して新たな知識を得るのが楽しかった。
介護職の私に質問されて答えられないと私のプライドが…とかなんだかんだ言いながらも、翌日には調べて教えてくれる看護師さん。
今考えてみると、本当に良くしてもらったな〜と思う。
こうして、私の生活スタイルは、
昼間は病院で介護職。
夜は理学療法士の専門学校。
こんな生活が、実習が始まるギリギリまで続きました。

出直してきます!

夜は理学療法士の学生をしながら、昼間は病院で介護職として働く。

全てが初めてのこと。
オムツ交換の時の衝撃。
お風呂介助の時の衝撃。
トイレ介助の時の衝撃。
初めて見るトロミのついたご飯。
何もかもが初めてだった。
今となっては何事もなく仕事としてできることが、当時は、全然ダメでした。
そもそも、理学療法士として働くためだけに介護の世界に飛び込んだ。
人の排泄物を見ること、人の裸を見ること…
介護の全てに抵抗があった20歳。
ただ、西山は適応能力が高いらしい。
すぐに慣れる。
ホームステイに行った時も、食事が合わずに途中でギブアップした子もいたけど、私は、そもそも嫌いな食べ物がないので、何ともなく暮らせていた。
今回もそうだった。
ただ…
どうしても我慢できないことがあった。
それは…
認知症の患者さんや寝たきりの患者さんに対するスタッフの対応。
……
………
ほら…
真面目でしょ。
なんのひねりもないでしょ?
なんとも面白くない男でしょ。
読んでて楽しくないブログでしょ。
でもいいんです。
それが、万年第二希望の男、西山祐二朗だから。
これまで、人を笑わすことを学んでこなかったので、仕方ない。
でも、今の嫁ちゃんを笑わせることは得意になってきたと思う。
そうか。
分かった!
みんなに読んでもらおうとするからダメなんだ。
1人にだけ伝えられればいい。
そうしよう。
気持ちが楽になった。
ちょっと仕切り直してきます!
最新情報をチェックしよう!